卒業、入学、入社、転勤、退職....それぞれに旅立ちの季節を迎えていますが、お元気でしょうか。連日のイラク戦争報道を見聞きするにつけ、それぞ れが武器を鋤きに変えて(聖書)、一日も早く終息に向かうようにと祈らざるをえません。
いい日旅立ち−道連れは?− 横浜緑園キリスト教会牧師 原田憲夫
雪解け間近の北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を叫ぶ時 帰らぬ人達 熱い胸をよぎる せめて今日から一人きり 旅に出る....
昔、山口百恵が切々と歌った『いい日旅立ち』は、不思議に傷ついた心にやさしさがしみてくる歌でした。今もまた、さまざまな過去に別れ、新しい旅立ち へと小さな勇気を与えてくれる歌です。この歌は一人きりの旅立ちに、道連れがあると歌います。
母の背中で聞いた歌を道連れに…
父が教えてくれた歌を道連れに…
子供の頃に歌った歌を道連れに…
いかにも人生のさまざまな風景が目に浮かんできます。その時々の想い出を道連れにするって、すごく郷愁にかられますし、一人きりの旅立ちなのに独り ぼっちではないと励まされます。
「旅の歌」といえば、旧約聖書の詩篇119篇54節には、「あなたのおきては、私の旅の家では、私の歌となりました。」とあります。この「おきて」というのは、神の約束の言葉(聖書)です。その言葉がこの詩人には、「旅の歌」となったんですね。
旅人にはいつ何があるか、どんなことが起こるかわからない、不安や恐れがたえずあります。そんな中で「歌」というのは、慰めであり、喜びであり、希望で あり、勇気であり、力....ですよね。
それに、ここでの「歌」というのは、特に、「神をほめたたえる」とか、「神を賛美する」といったときに使われる言葉なんですね。
この神の約束の言葉とは、愛と正義と聖さを現されたイエス・キリストです。その意味で、キリストは旅路を歩む私たちの<歌>となってくださるお方です。
ですから同じ詩篇には神への祈りの言葉も記されています。
私の祈りを聞いてください。主よ。
私の叫びを耳に入れてください。
私の涙に、黙っていないでください。
実際、私たちの人生の旅は、うれしいことばかりではなく、つらいこと、悲しいこともたくさんあります。道に迷うこともしばしばです。疲れてもう前に行 けないと思うこともありますね。
けれども、キリストは道連れとなって私たちの人生を一緒に歩いてくださいます。いつでも私たちのかたわらにいて歩んでくださいます。
「ごらん。わたしはいつでもあなたとともにいますよ。」
そう、キリストは声をかけてくださいます。
ああ、日本のどこかに私を待っている人がいる……
実にその方こそ、救い主イエス・キリストではないでしょうか。 あなたも今日から、聖書が教えてくれた歌を道連れに、イエス・キリストを道連れにひとり旅立ちませんか?
クリスチャン人物伝〜福井 達雨 止揚学園リーダー 栗原 喜義
「僕は今、君が知っているように、知能に重い障害をもった子どもたちと生活していて、とても貧乏なんや。
時々、料理屋さんから残飯をもらって食べることもある。・・・この貧乏生活はいつまでも続くやろうし、
一生、宝石も家も買えへんほど甲斐性なしの僕やけれど、結婚せえへんか」・・・これは福井達雨さんの
プロポーズの言葉です。
福井達雨さんは、琵琶湖の東にある知能に重い障害をもった施設である止揚学園(36人の障害をもった人たちと、障害をもたない者、両親あわせて100人余り、みんながひとつの家族として互いに愛し合って生きている)のリーダーです。
福井さんは、1932年、滋賀県で生まれ、同志社大学を卒業されました。20歳の時、4人の子どもたちに出会いました。2人は座敷牢に、1人は天井裏に、1人は牛を飼わなくなった小屋の土間の穴の中に入れられていました。福井さんはたまらなくなり、「何てひどいことをしているんや」と怒鳴りました。お母さんの涙ながらの話を聞いて、この子を穴に入れざるを得ないように追いつめた心の冷たい日本人と自分を発見しました。
差別してきた私たちが差別されてきた子どもたちに謝ろうと1962年、止揚学園を始めました。昨年40周年を迎えましたがその歩みは上に立たない優しさをもって、謝り、謙虚になって知能に重い障害をもった仲間たちと共に生活してきた歩みでした。福井さんと止揚学園の人たちが大切にしてきたみことばのひとつは「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(2コリント4:18)であります。
また福井さんの障害をもつ人たちへの熱い温かい仲間としての思いは止揚学園に止まらず、障害児差別に対する抵抗運動、講演活動(日本、世界各国)、著作活動(「僕アホやない人間だ」他)と広がっています。
「クリスチャンのススメ」 吉原 明香
「緑園の丘」を読んでくださっているこの緑園の地に住む皆さん、横浜緑園キリスト教会(丘の上にある三角屋根の教会)はどのように皆さんの目に映っていますでしょうか。駅のホームからも見えますし、存在だけは知ってくださっている方も多いと思います。でも、「信仰」持つ気もないし、近くにはあっても、多分一生縁はないな。というところでしょうか。自分がクリスチャンになるなんて!ありえない…。ですよね、普通は。
わたしは、実家が浄土真宗のお寺で、クリスチャンの夫と知り合ってそれから信仰をもったのですが、人生はホントわからないものです。もちろん洗礼を受けたからといっていきなり性格がよくなったり、急に人類愛に目覚めたりするわけではありません。しかし自分が世界で唯一の尊い存在なのだという肯定感と共に大いなるものの小さな一部であることの責務を果たそうという謙虚な気持ち、これらを同時に心に持ち合わせられるクリスチャンという生き方はなかなかいいなと思っています。わたしが書くとなんだか薄ぺっらくなりますが、本当は奥深いのでご安心ください。はっきり言ってお奨めです。確かめに来てみてください。
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