お元気でしょうか。戦争の次は奇怪な病気....今、世界はどこへ向かって動いているのでしょう。何だか現代の作家たちが描く幻想と現実の交錯する混
迷の森へと深く足を踏み入れたような時代模様です。だからこそ、緑園の丘からあなたに希望のメッセージをお届けします。
わきいでよ、心の井戸 横浜緑園キリスト教会牧師 原田憲夫
水をめぐる争いは、古今東西を問わずにあります。小さな利権をめぐる争いから環境問題を左右する争いまであります。およそ人のいる所で水をめぐる争い
はなくなりません。 聖書の世界(パレスチナ)では、井戸はとても深く掘らなければならず、井戸は貴重な財産でした。渇いた世界では、水は命そのものです。人々は井戸のまわりに集まり、喜び歌いました。
「わきいでよ。井戸。――このために歌え。――」
(旧約聖書・民数記 21:17a)
「メタファーとしての井戸」
村上春樹的に言えば、もともと人の心には、「メタファー」としての「井戸」があるのです。互いを励まし慰める豊かな心の井戸です。そこから流れ出る水 によって互いに潤される、そんな井戸です。
しかし今、その井戸からは水が流れてきません。なぜですか。
(理由1)こわれた井戸
何回ポンプを押しても水があがってきません。出るのは、ガタン、ガタンという不平不満の音ばかり。心には喜びがないのです。不信を抱く心は、愛、潤いを与えることはできません。
(理由2)涸れた井戸
雨季と乾季に分れている地域では、雨季には水がたっぷり出ますが、乾季になると涸れてしまいます。試験がうまくいった時、事業に成功した時、周囲の状 況がよい時には、大喜びします。しかし“お天気”が悪くなると途端に、がっかりし、不平不満の原因を他人に転嫁してしまいます。
(理由3)ゴミがつまった井戸
いろいろな心配事、思い煩い、罪のゴミが心の中に一杯につまっています。日本昔話「舌切り雀」の話に出てくる欲深いお婆さんが開けたつづらのように、 私たちの心の中には「みだらな行ない、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など」(新約聖書マルコの福音書 7:21~22)が一杯つまっていて、水の流れをふさいでいるのです。
「わきいでよ。心の井戸」
水が流れ出ない今の私たちの心は、かつて愛に渇きながら愛を生きられないで、人目を忍んで暮らしていた聖書の中の一人の罪深い女の人に重なります。そして、この女の人に語ったイエス・キリストの言葉が、今、私の心に響いてきます。
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(新約聖書ヨハネの福音書4:13~14)
このキリストこそ「真の井戸」と呼ぶべきお方ではないでしょうか。なぜなら、キリストは十字架の上でご自分のいのちと引替に人の罪・過ち・汚れをすべて取り除いて、永遠のいのちの水を与えてくださる「救い主」だからです。
今日、もしあなたが心にキリストを迎えてくださるなら、豊かな井戸をもつことになるのです。キリストこそ、私やあなたの心の渇きを潤す、真の井戸だからです。あなたの上に神の祝福がありますように。Ω
クリスチャン人物伝〜三木 晴雄 玉の肌石鹸(株)社長・ミヨシ石鹸(株)社長
〜信仰と愛と事業家魂と〜
玉の肌石鹸(株)、ミヨシ石鹸(株)の両社長であり、池の上キリスト教会員でもある三木晴雄氏は、気軽に当教会主催の「父の日記念講演会」における講師をお引き受け下さった。昨年6月のことである。
「今でこそ会社の経営基盤は盤石になりますが、ここまで来るのは、決して容易なことではありませんでした。泥沼化した労働争議の真っ只中に引きずり込まれて、解決の糸口も掴めず、家族や自分の身の上に危険が降り懸かる中で、孤立無援、孤軍奮闘しなければならない日が長らく続きました。失意のどん底に突き落とされて、会社も自分も、もうこれまでと思い詰めたことが何度もありました。悩み抜いたあげく、ついに、社員の要求をそっくり受け入れる決心をしました。
ところが、いざ蓋を開けてみると、不思議なことが起こりました。社員が今までの2倍、いやそれ以上に会社のために働いてくれたのです。
私はもう一度、役員全員の反対を押し切って、社員の訴えを全面的に承認しました。失敗が許されない最後の決断でした。すると、どうでしょう。社員はバリバリ仕事をして応えてくれたのです。会社は見る見る立ち直り、業績は急回復して勢いを増し、一直線に伸びていったのです。」
三木社長は講演会で、とつとつと、ご自分に言い聞かせるように、静かにゆっくりと、何事も無かったかのように語り終えられた。
深い信仰にもとづく包容力のある愛と、強靱な事業家魂と、鋭い洞察力とが社員を魅了したのであろう、と私はしみじみと思った。 (橋本 健一)
入門クラスで学んでみませんか?
聖書についてキリスト教について知りたいと思っている方のために教会では毎週入門クラスを開いています。
主日礼拝の後に青年・成人のクラス、平日の木曜日と金曜日には一般・婦人のクラスがあります。
今回成人の入門クラスで学び、洗礼に導かれた森山さんに入門クラスについてお聞きしました。
Q:入門クラスの学びはどんな感じですか。
毎週日曜日の主日礼拝の後、老若男女、もっと聖書のこと、信仰のことを知りたいと思っている方、分からないことを教えてもらいたい方、交わりを求めている方などが集います。
内容は、賛美、お祈り、講義、質問コーナー、お祈りで構成されています。時間は約1時間弱といったところです。
講義は、ハイデルベルグ信仰問答やヨハネの福音書などを課題に、聖書を皆で輪読し、その解釈を学びます。
質問コーナーではその日の学びについて、またはその他について質問を出し合い、意見を述べ合います。この質問コーナーが楽しみでした。
Q:学んでみてどうでしたか。
聖書の奥の深さを痛感させられました。ただ単に聖書を読んでいたのでは絶対分からないことが毎週出てきます。
今想えば失礼ながら多種多様の質問をしてきましたが、一つ一つ丁寧に教えていただきました。
そして何より、先生との交わり、他の求道者との交わりが持てたことが一番大きいのですね。みんな一人で教会に来て、何らかの孤独感の中で礼拝しているのではないでしょうか。不安を取り除き、教会という群れに飛び込むには最適だと思います。
私はこの学びを通して信仰を育み、受洗に導かれたと思っています。
Q:入門クラスに出席してみたいと思っている人に一言
もっと学びたいと思っている方だけでなく、信仰に不安をもっている方、お話し相手が欲しい方など動機は様々で結構です。
まずは試しに出席しましょう。新しい世界が見えてくるはずです。いろいろな方の話を聞けるだけでも安心できると思います。
クリスチャン生活クラスも再開されました。私もヘルパーとしてお待ちしております。
入門クラスの時間については4頁の集会案内をご覧ください。
また、「緑園の丘」についてのご意見ご感想もお待ちしています。
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