「一体どこに自分の本当の地図を持った人間がいるのだろう。私たち人間は、常に地図のない荒野(こうや)へ旅を続ける単独旅行者のようなものだ。」(五木寛之『地図のない旅』)。
「わきいでよ。井戸。――このために歌え。――」
聖書の中にも「地図のない旅」をした人がいました。アブラハムです。アブラハムは「行く先を知らずに」住み慣れた地を離れ荒野へ旅立ちました。といっても、アブラハムは自分の野望を実現するために故郷を捨て、無謀な旅に出たのではありません。神に誘われて「神の約束の地」へと「旅立った」のです(旧約聖書創世記 12章1節)。
1)75歳の旅立ち
この時アブラハムは75歳でした。それはふつうには引退して静かな余生を考える歳ではないでしょうか。
先日、能登半島のある温泉で一緒になった漁師さんが、「船を降りたよ。歳をとったら若い者に迷惑はかけられんから....。そりゃあ、もっと乗りてえさ....。」と話してくれました。危険と背中合わせの海の世界ではやむを得ないことなのでしょう。けれども、仕事は変わっても、私たちには地上の生涯を終えるまでそれぞれの「使命」があるはずです。
2)荒野への旅立ち
アブラハムは「荒野」へ旅立ちました。それはふつうとは逆の向きです。たいていの人は、乏しい世界から豊かな世界を目指しますが、アブラハムは豊かな世界から乏しい世界を目指したのです。
現代の私たちはちょっとした不足にも欠乏にもがまんができなくなっています。それはしばしば生活の端々に露出し、気に入らなければ、すぐに切れ、爆発します。今、そんな現代の私たちは忍耐力を養う荒野の心を生活空間の中にもつ必要があるのではないでしょうか。
3)信仰による旅立ち
75歳のアブラハムは荒野へと旅立ちました。「地図のない旅」でした。けれども彼には「信仰」というコンパス(羅針盤)があったのです。ですから、その一途な信仰は神ご自身が人生の地図であることに気づかせました。やがて彼は幾度ものきびしい試練を通過し、神の約束の地においてイスラエル民族の祝福の祖となったのです。
今、その祝福はイエス・キリストを通してあなたにも注がれています。キリストは「わたしが道です。」(新約聖書ヨハネの福音書14章6節)と話されました。キリストは、将来に不安を抱えて地図のない旅を続けるあなたを、祝福に満ちた人生へと案内してくださるのです。神の祝福があなたの上に豊かにありますように。Ω