クリスマスには、「贈り物」がつきものです。幼い頃、クリスマスは何か特に良い事をしたわけでもないのにプレゼントがもらえた不思議な日でした。思春 期の頃、部活のクリスマス会といえば、プレゼント交換が定番でした。なぜそうするのか考えたことはありませんでしたが。大人(親)になって子供たちや知 人にプレゼントを贈る喜びを知りました。クリスマス、それは格別に嬉しい心のアルバムです。
ところで、みなさまは輝く星が東方の博士たちをはるかの国ベツレヘムの幼子のもとへと案内したという聖書のクリスマス物語をご存じでしょうか。それこ そ贈り物にまつわるお話です。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。....そし てその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。」(マ タイの福音書2章2節,11節)
博士たちは、東方の国から持参した黄金、乳香、没薬という宝物を幼子に贈りました。
古からの教会の伝統では、「黄金」は「キリストの王権」を象徴し、「乳香」は「キリストの神性」を象徴し、「没薬」は「キリストの受難・十字架」を象 徴するとされています。
東方の博士たちは、星に導かれて、新しい世界の王の誕生を祝うためにはるばるエルサレム・ベツレヘムへと長旅をして、当時の最も価値ある宝物を幼子(イ エス・キリスト)に贈ったのです。いやそれ以上に、「ひれ伏して拝んだ」とあるように、博士たちは一番の宝物とともに自分自身を贈り物としたのです。
しかし、ほんとうの贈り物は、幼子にひれ伏した博士たち自身が受け取りました。というのは、このベツレヘムの幼子こそ神さまから博士たちや私たちへの いちばん大事な愛の贈り物だったからです。
私たち人間は自己中心で、始終他人と争い、親兄弟と憎み合い、それどころか神さまにも反抗し、日々不安定な状態にあります。それは絶望的で破滅的な状 態です。しかし、そんな惨めな私たちを救うために神さまは幼子を贈ってくださいました。そして、この幼子の命と引き換えに(十字架の死によって)、私た ちに希望と平和をもたらしてくださったのです。この幼子こそ私たちの救い主です。
クリスマスは、<神さまの大きな愛が私たちに届けられた日>です。あなたも手を伸ばしてそのすばらしい希望と平和をもたらす贈り物を受け取ってくださ い。
神さまの祝福があなたとご家族の上に豊かにありますように!
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