緑園の丘 2004年初夏号 vol.50
緑園の丘 2004年初夏号 vol.50

 新緑の萌え出る美しい季節です。お変わりありませんか。
3月のいつだったでしょうか、たまたまTVで今年のNHK全国学校音楽コンクール高校の部の課題曲を耳にしました。平和への願いが歌われていましたが、ちょっと不思議な詩で、「新しい人」という言葉に「あれっ」と思いました。聖書の言葉が思い浮かんだからです。作詞はノーベル賞作家の大江健三郎でした。早速、『“新しい人”の方へ』(朝日新聞社)を求めて読んでみました。

 横浜緑園キリスト教会主任牧師 原田憲夫


「古い手紙」が語る「新しい人」

 「私が『新しい人』という言葉に出会ったのは、『新約聖書』のパウロの手紙のなかででした。・……・キリストは平和をあらわす。それは、対立してきた二つのものを、十字架にかけられた御自身の肉体をつうじて、ひとつの『新しい人』に作りあげられたからだ。そしてキリストは敵意を滅ぼし、和解を達成された……」(p176)。
「あれっ」から「へえ〜」ですね。大江さんは、自分はキリスト教徒ではないといい、戦争の連鎖を断ち切れなかった「古い人」だという。だから、若い人に向かって、自分のいのちをささげて平和をもたらしたキリストをモデルに、「新しい人」になってほしい、「新しい人」をめざしてほしい、と真摯に呼びかけるのです。

 そのA.D.1世紀の「古い手紙」の一節です。「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。...二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。」(エペソ人への手紙2章14~16節)

 【1】隔ての壁  「隔ての壁」とはかつての〈ベルリンの壁〉のように、決定的な断絶状態のことです。この手紙が書かれた時代には、例えば、エルサレム神殿内にユダヤ人と異邦人の間には「隔ての壁」があり、その「壁」を越えてくる異邦人は殺されなければならないという警告板が取り付けられていたほどです。
 現代世界にも「隔ての壁」が至る所に存在しています。パレスチナに、中近東に、朝鮮半島に、中南米に…・民族と民族、国と国の間に。それだけでなく、同じ民族の間に、同じ共同体(社会)の間に、同じ家族(親子、兄弟)の間に、「隔ての壁」は高く築かれているのです。まったく皮肉なことに、原子爆弾をつくり、クローン生物をつくり、世界中の情報を一瞬のうちに集めることができ、不可能という文字が辞書に見つからないような〈賢い時代〉を迎えた今、〈愚かな壁〉はますます増え、高く、頑丈になったのです。

【2】隔ての壁を壊した十字架  「古い手紙」は、キリストがご自分のいのちにかけて対立する「隔ての壁」を壊したと記します。人間が賢さを誇り、誇りで積み上げた「隔ての壁」を、キリストはご自身の死(自己犠牲、謙遜)によって打ち壊したのです。
 話題の「パッション」という映画は、この「キリストの十字架」を描いたものです。そこには二つの姿が映し出されています。

1)十字架−罪に傷ついたあなたの姿  キリストはすべての人の心の内側に巣食う汚辱にまみれた罪と死をその身に引き受け、凄惨な身代わりの死を遂げられました。なにが救い主だとののしられ、顔を背けられた十字架のキリスト、それは罪に傷ついたあなた自身の姿だったのです。

2)十字架−神の情熱  怒り、憎しみ、復讐心にかられるような場面で、キリストの心にあふれたのは〈愛〉でした。「父よ、彼らをお赦しください。」と祈る十字架のキリスト。この凄絶な十字架(パッション)こそ、すべての人に現された神の愛、ほとばしる神の情熱(パッション)だったのです。

【3】「新しい人」に  大江さんは、若い人に向かって「新しい人」になってほしいと訴えました。けれどもこれは、ほんとうは大江さんを含むすべての人、これを手にしているあなたへキリストが訴えかけているものです。いくら悲惨な現実を語っても、どれだけ凄惨な戦争を体験しても罪深い人間性は変わりません。大事なのは、私たちがその底なしの罪深い自分を認め、私たちに代わって死んだキリストを救い主として心に迎え、私たち自身が神の平和を宿す「新しい人」へと生まれ変わることなのです。 Ha


〜シリーズ:バングラデシュを行く〜(2)小森るみ子

 「シスター、昔はねここら辺のジャングルにもトラがいたんだよ。」 一緒に歩いている現地の人がうっそうと茂った森をさして言う。噂に聞くベンガルトラ。 今はバングラデシュでもインドに近い奥地のほうに行かないと見ることはできない。 (まあ、見たら最後のような気もするが)村もずいぶん昔とは変わったというが、 ダッカからバスで1時間30分くらいの場所だがまだまだここは電気もほとんど通っていないというのどかなものだ。

 私たちの働いていたクリニックは看護師のみで、医者は週2回よそから来る。 村の人たちはほんのわずかなお金しか持っていないため、十分な治療を受けることができない人も多い。 助けてあげたいけれど助けすぎると、外国の助けにしか頼っていけず、自立して働く力を失ってしまう。 人を助けるというのは難しいことだ。誰をどのように助ければよいのか智恵も必要だ。 また、人間としての限界を感じることもしばしばだった。

 ある時、一人のおばあさんが運ばれてきた。乳ガンで腫瘍がすでに開いてしまって、悪臭を放っている。どうみても手術をするしかないし、また手術をしても助かる見込みはかなり低いと思われた。 私たちはとりあえず大きな病院に行くように勧めたが助かるかどうかもわからないのに 子供にたくさんのお金を使わせるわけには行かないと思い、行きたがらない。 すると、現地の一人の看護師が「安らかに神さまの御許に行けるように、準備しなさい。」と言い出した。 私はそんなこと言っていいの??とびっくりしたが、おばあさんも驚く様子もなく、うなずいている。このような田舎では、救急車もなければ、十分な治療も受けられない。だから、人の死というのは日常的に身の回りにある。 このおばあさんは、学もない字も読めないような人だろうけれど、人は限りのある存在で人間にはできることとできないことがあることを知っている。私たちはどうだろう?高度医療などはあるが、人は必ずいつか死ぬのだということを無視して生きていないだろうか?そんなことを考えさせられる一場面だった。

 私たちはこのようにしてしばしば何もできなかった。ただ祈ることだけしか。しかし祈ることができるとはなんと幸いなことだろうかと思わされた。人間にはできないことがたくさんある。しかし、神にとって不可能なことは一つもない。神さまは私たち一人一人を愛してくださっているのだ。

「わたし(イエス)は、よみがえりです。命です。わたしを信じるものは死んでも生きるのです。」聖書     


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