緑園の丘 2005年春号 vol.54
緑園の丘 2005年春号 vol.54

 みなさま、お変わりありませんか? まだまだ緑園の丘雪に見舞われたり、朝夕冷え込みますが、それでも今年は復活祭(イースター)の訪れを3/27(日)と早く迎え、やさしい光とともに春の訪れを実感しています。春の訪れはまた、悲喜こもごもさまざまな別離と旅立ちの季節ですね。神の祝福を祈ります。

 横浜緑園キリスト教会主任牧師 原田憲夫


“ヴィアートル” 〜たましいの故郷への旅立ち〜

 そ中世ヨーロッパの人は、キリスト信者を「ヴィアートル」(ラテン語で旅行者、旅人の意味)...入植者ではなく世界を旅する人、と呼びました。

 旅人はオアシスで休みながら旅を続けます。椰子の木陰にあるオアシスは豊かに水を湧き出させ、疲れ切った旅人はそこで休息と平安と回復を得ます。旅人はまた出発しますが、そこでの休息は喜びにあふれたひとときです。  このオアシスは、日曜日の礼拝のほか、朝の15分間の神への祈りのひとときです。朝ごとに心を静めて一日を始めると、爽快で愉快な一日になります。そしてオアシスは、夕べの15分間の祈りのひとときです。ひとり心を静かにしていると、ふだん気がつかなかった風の動き、鳥の声、やさしい光に気づき、幸せな気分になります。  ところが現代の私たちは無謀にも朝夕のこのわずか15分間を無駄だと考えてしまうのです。いえ、何かに駆られるように先へ先へと急ぎオアシスを通過してしまうのではないでしょうか。

 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。(詩篇63)

 荒野ではオアシスにたどり着くまでいつも渇きとの戦いです。 しかしイエス・キリストは「永遠のいのちへの水が湧き出る泉」であると言われました。決して渇くことがない永遠の回復をもたらす水を与えると言われるのです。 また、荒野で人々が食べるパンは乏しく、たえず飢えとの戦いです。しかしキリストは「いのちのパン」だと語られました。決して飢えることのない永遠のいのちにいたる食物を与えると言われるのです。

キリストが約束された水とパンは罪の重荷に疲れ切った私たちに休息と平安と回復をもたらします。しかしそれはキリストのうちにしか見つからないものです。キリストはただ水やパンのあるところへ案内されるのではなく、ご自身が水であり、パンであると言われるのです。 キリストを飲み、キリストを食べる・・・・そのとき私たちは永遠に渇くことも、飢えることもない永遠の救いを手にするというのです。  イエス・キリストは私たちにこの永遠の救いを与えるために十字架にかかって死んでくださいました。ご自分のいのちと引き換えに、己の罪のために永遠の滅びの中にあった私たちの身代わりとなって死なれたのです。そして死からよみがえられました。復活です。 あなたもこのキリストを救い主と信じるとき、永遠の救いにあずかることができるのです。キリストの十字架と復活は、永遠のいのちの泉であり、いのちのパンだからです。

だれでもこの地上の日常生活では確かに時間に縛られていますが、そしてさまざまな制約の中にありますが、キリストを信じる人は永遠の神の子どもです。たましいの故郷の市民であり、地上ではそこを目指す旅人です。

こんな話をご存知でしょうか。 一人の若者が5ドル紙幣を見つけた。「それ以来、歩くときは決して目を上げなかった。数年かけて彼がためたものは、29,516個のボタンと54,172本のピン、12セント。それに猫背、ケチな性格だった」。 彼が失ったものを考えてみてください。太陽の輝き、星の瞬き、友人の笑顔、春の花々をみることができませんでした。彼の目はいつでも溝の中を見ていたのですから。

ヴィアートル、上を見上げましょう! 旅の人よ、あなたも今日からたましいの故郷へ旅立ちませんか! (Ha)

 


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